2012年11月27日火曜日

Hoike

11月の最後の日曜日、フラの発表会がありました。

フラを始めて1年。イベントにも出たこと無くて、同じころに習い始めてお教室で仲良くなった友人とグループの発表会とは知らずにいきなりグループの10周年の会に参加してしまいました。えらい大間違いです(笑)


直前まで振りを教えられ、そして変更になったり(汗)と、どうなることやら、思いましたが、教室の先輩たちが早く来て自主練の時間を設けてくれたり・・・と、助かりました。


当日は、ギリギリまで振りの確認なんかであまり他のクラスのは見られなかったんだけど、どの曲もステキでこのイベントで初めてお見かけしたのですが、こんなにたくさんのバリエーションを考えられた先生ってステキっ!って思っちゃいました。




 

2012年11月16日金曜日

1人旅行 6

LAST DAY

朝から御ミサ

シスター方の歌を聴く為に昨日より早めに出る。


6時半過ぎに出て行くともう始まっていました。歌というか、文章に節をつけたものですな。




今日も参加者は5人くらい。そして神父様も到着し、今日はそこにいらっしゃるあるシスターのお母様と亡くなられた方のために捧げます、と、御ミサが始まる。昨日とは違う神父様。


神父様、どんなお話されるんだろう、と思っていると、ちょうど私が昨日山の中で気づいたことをお話されました。
「普段、当たり前すぎて色々なものを与えられていることに気づかずに過ごしている、健康とか、空気、自然も・・・そうでしょう?」
と。



他の方がお話されたなら普通に聴いていたかもしれませんが、その神父様のお話のされ方が当然のことを話されるよな物の言い方で、私の空白に埋め込むべきピースをピタリとはめられたようなものがあって、声こそ出さなかったものの、涙が止まりませんでした。御ミサ中に泣いたのは、初めてカトリックの御ミサに与った時以来です。


ここへ来たのも私が休みを取って、私が来ようと思って、私の意思で来たんだけれど、ホントは呼んで頂いたんだなあ・・・黙想と言いつつもノープランで来たのに、たくさんの物があたえられました。




もう帰らなくちゃいけないけれど、朝食前にささっと山へ。上まで行ってる時間ないから下のほう・・・お墓へ。


”私を信じる者は死んでも生きる”


そのすぐ下に先ほどの御ミサで神父様がお名前を言っていらっしゃった方と思われるお名前がありました。霊名と苗字が一緒で女性の方、帰天の日も大体同じ頃だったので下のお名前までは覚えていないけれどこの方かな~と思いつつ、勝手にそのシスターのお母様に気にかけて頂いたような気になってうれしくなってました。


午前は荷物をまとめ、本を返し、部屋を元のようにかたずけ、シスター達の作られたクッキーやブラザー手作りのクリスマスカードを買って宿代のご精算。
休み休み6時間かけてゆっくりと帰ってきました。
何が変わったのかわからないけれど、今までに無いくらい内面が穏やかで満たされています。
神に感謝!







 

2012年11月15日木曜日

1人旅行 5

午後からも山へ。

雨が降りそうだったので散歩してから部屋に籠ろう。



ちょっと歩いてお墓の例の 
”私を信じるものは死んでも居きる”
の文字の前へ。


しばらく、死んでも生きる、と繰り返しながらまた独り言。
御ミサの時に死者も祭壇に来て一緒に与っているとどこかで読んだけれど、本当に来られているの??


なんとなくお御堂で大勢でロザリオをするような感じでいすに腰掛けロザリオ一連。


その後ぶらぶらと山へ。


下でも上の方でも箒で落ち葉を掃いてるような音がする。



頂上まで行き降りてくると、お掃除のお姉さんが一人休憩中。こんな所で人に会うとは。。。と思ったらTさんでした。
時には事務員、時にはお掃除の人。何でも屋さんですね。

もちろん、今回初対面だったのですが、なんだかしっくりくる方でした。向こうもそう思っていてくださったのか、昔の私みたい、とのこと(笑)  このときに少しお話させていただけなのですが、この方に会うのはもう決まっていたことのように感じました。うまく言えないけど。とても良かった。またどこかでお会いしたい。次に行くまでおられたらいいな。




この日は帰って読書、そのあと小聖堂again
一人で小聖堂で独り言を言ってると、御聖櫃をぎゅっと抱えたくなるような、鍵を回して扉を開けたくなるような衝動を抑えるのに必死でした。













 

1人旅行 4

NEXT DAY

今日こそ御ミサ!
7時に間に合うように早めに聖堂へ。
到着すると、シスター達のお祈りが既に始まっていました。


お声がとってもきれい。


後から所属教会のシスターに伺ったところ、御受難会は半観想とのこと。確かにシスター達のところは完全に見えないわけではないけど戸で目隠しのようになっていました。平日というのもあるかもしれませんんが、参加者は5名くらい。






御ミサ後は、食事、洗濯、読書、そして山(笑)。




十字架の道行きの順で、イエズスさまに心をあわせて歩いていく。



どうしてこんなにたくさん人が居るのに私が洗礼を受けたんだろう。

どうして。

何もできないのに。

こんな自己中の私が。何が私にできるの?

いつも好き勝手にして、あなたに感謝もしない。

あなたの言葉も本気にしているか怪しいのよ?



ベンチでボケッとしていると、以前にシスターにあなたは自分を罪人(つみびと)だと思いますか?と聞かれたことを思い出しました。カトリック教会では、主の祈りというお祈りの中で

”天におられる私たちの父よ
 (中略)
 私たちの罪をお許しください
 私たちも人を許します”

という箇所があるのですが、いつもさらっと言ってて自分が罪人だという自覚がないんだけど、自分に何も無いくせに与えられてるものに感謝もしない、造られたことに感謝もしない、生かされてることに気づきもしない、それが罪なんだとひらめきました。


ふと目を上げるときれいに紅葉していて、揺れる枝や空気、たくさんの実りの中にすっぽりと包まれているのが見えて、イエズス様の腕の中に居るようなすごく満たされた感覚になりました。こんなにも与えよう、与えようとしてくださる方なんですね。


さっきまで何で私が、と思っていたけど、こんな私でも、こんな私だからこそ、愛してくださるってるんですよね・・・ 




”私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい”

・・・私はいつも怒っている。



読もうと思っていた聖書は滞在中読まなかったのに、時折ポツン、ポツンと御言葉が降ってくる。

不思議だ。






”義に飢え乾く人は幸いである
 その人は満たされるであろう”


何度教えてくださっても満たされていることを忘れる罪人にどうか気づかせてください。何度も、何度も。







”押入れ、揺すりいれ、あふれるほどに量りをよくしてふところに入れてもらえる”


満たされすぎてベンチで泣いてしまいました。
でも、マイ山状態だから大丈夫!!




そっか、そっか・・・と思いながら下山。


”見よ、それはきわめて良かった”



すぐに黙想の家の小聖堂に上がり、私は罪人です、愛してくれてありがとう!と言いました。





 

1人旅行 3

食事は、時間になると温かいものが用意されています。

今回は宿泊者が私1人なので食堂もマイ食堂(笑)
電気ストーブも入れていただいててありがたい。広い食堂に1人でポツーンだけど、全然OK!今から思えば逆に中途半端に2人、3人じゃなくて良かった・・・
感謝のうちに食事を終え、洗濯、部屋に戻りやる気があるうちに読書。そしてマイ聖堂と化している小聖堂でロザリオとお祈り、独り言。


ここでTさんをお見かけしたので、明日の朝に備え、ごミサの場所を確認。現地まで連れて行ってくださいました。その帰りに、

 



「居た、居た!」
と、ごミサのある修道院の入り口近くを覗くTさん。
「あぁっ!ウリ坊が3匹も!」
と無邪気に教えてくれる。
イノシシが出ると、今朝仕掛けたばかりでつかまったと噂で聞いたんだそうな。
いやいやいや!
ウリ坊って呼ぶには大きいし!!
何より、私、今朝修道院どころか、1人で山歩きしてましたけど??そして、コロコロした生命体と遭遇しましたけど!!?



それでもやっぱり、午後からは山へと散歩に。
続いて庭徘徊。
朝は気付かなかったけど、ホントにドングリだらけ。栗と赤い木の実も。こりゃ、イノシシも出るわな。
黙々と歩いていると、ドングリは地に落ちなければ1粒のドングリのままである、なんて言葉がふと頭をよぎる。



その後は無心に坂道を登ったり降りたりしていると、何で私、洗礼うけたんだろ?何もできないのに、と浮かぶ。


何で私なの、何で、何で、何で?



さすがに宿泊者1人だから誰にも会わない。

その後、敷地を飛び出し池の周りや住宅地徘徊。
坂だらけで結構キツイ。


時計を持っていかなかったので時間の感覚が無いけど2時間以上は歩いたかなあ?
まだ明るいけど、また読書しては窓から紅葉を眺めて・・・

ふと、何時だろ?と携帯を見ると、シスターからメールが。
日曜は、早ミサに出たのでお会いできなかったシスターからで、80を過ぎてメールデビューなさり、早速送っていただいたメールでした。ジーンとしてまた泣きそうになったけど、グッと我慢。
愛を感じるメールでした!
 

1人旅行 2

2日目~

いいお天気。


お隣の女子の修道院へごミサへ行くつもりが、入り口が色々あって結局分からず。どなたでもどうぞ、と時間は書いてあるのに入り口がわかんな~い(泣)
まあ、いいや。
と、そのまま入山。

黙想の家の裏には山があって、十字架の道行きになっていました。あ!ドングリもたくさん落ちてる~。





途中に墓地もあって、2つある石の1つに書かれた文字で足が止まる。



”私を信じるものは死んでも生きる”




あら、なんだか昨日読んだダビデの箇所と同じじゃありませんか。
死んでも生きる、か。

墓のベンチに座って30分。
そこに名前の書いてある方たちに、ねぇ、ホントに生きてるの?と独り言のように心の中で語りかけ、すっかり怪しい人に。
イカン、イカン。
そろそろ朝ご飯だっ!


 
庭の紅葉を見つつ歩いていると、近くにコロコロっとしたネコのようなものが通りかかる。山だな~~







 

2012年11月14日水曜日

1人旅行 1

ネットでふと目に留まった泊まれる修道院の書き込みから始まって、私も1人で行ってみました。

お世話になったのは兵庫県宝塚市にある御受難会の黙想の家。日々の家事から開放されてしばし静かに過ごせます。お食事も用意して頂け、個室で自由に過ごせます。仕事といえば、食事の後の皿洗いと、洗濯だけ。洗剤やシャンプー、タオルもあるので必要なものって寝巻きくらいではないでしょうか笑  信者さん以外も宿泊できます。




こちらで3泊させていただきました。
イエズス様がお迎えしてくれます。



ちょうど紅葉していてお庭がきれいでした。お庭の拝庭だけもどなたでもできます。下旬には紅葉狩りもされるようです。


日曜から泊まったので、早いごミサに与り、日曜学校を終え、子供たちと一緒に通常のごミサに与れないのは少々心が痛むけどすぐ出発。この距離を1人で運転はノープロブレムだけど、1人でここまで遠くへってのは初です。ワクワクするっ。

こちらへは11時に出発して途中食事をとりながら4時頃に到着。
この日は団体さんが食堂でパーティーをするとの事で夕食は持参して部屋でとりました。予約時に電話対応をしてくださったTさんが浴室や館内の設備を案内してくださり、その後は1人時間スタート。次の日からお客さんは私1人になるそうです。おお~っ!




1日目は雨だったので小聖堂でお祈りして、部屋で日曜学校の準備や読み物をして終了。図書室の本も借りられます。自分でも本は持っていったけど、とりあえず1冊お借りしてパラパラ~っと目を通してみる。



旧約の時代の内容でちゃんとは覚えてないけどダビデの子供が死んだときの場面が書いてあり、子供が死ぬか死なないかというときはひどく心を痛めていたのに、死んだとなれば平然としている所で、その解説として臨終のときはもしかすると奇跡でも起こって生きられるかも知れないと期待してその事ばかりに振り回されるけれど、実際に死が訪れてしまえば神様の所に行ってしまったのだからもう戻ってくることはないし、そうなれば生きている人間があれこれ気にしてもどうにもならないことだ、それを理解しているからその態度は冷たい訳ではないと書いてあった。


間違いなく私は親しい人が亡くなってしまったら収集がとれないくらい号泣してしまう。
泣かない人もいるけど、そんなの無理。
泣く、泣かないの問題じゃないけれど、、、周りから見たら悲しいから泣いていると思われるんだろうけど、それよりお疲れ様、終えられたね、良かったねって泣いてしまう・・・
変ですか笑
良かったねって思っても、泣かない人になりたい。号泣なんてしたら、無知な人みたい。いや、永遠なんて、信じていないのかな。。。



聖書読んでると普段泣かないのに泣いてばかり。



こんな人いるんだろうか、と思ってたら、求道者だった頃に後に代母さんとなっていただいた方とシスターと3人で聖書を読んでいるときにシスターからここ読んでみて、と言われた代母さんが黙示録の新しい天と地の箇所を音読していると急に言葉に詰まられ、
「福音書ばかりで黙示録なんてほとんど読まないけど、すっごくいいね」
と、その後は泣きながら読まれたんです、私もその箇所は大好きで平静ではいられなくなる箇所なんだけど、どうして泣くのか自分でも分からない。
そんなに日常生活が辛いのか!?
何の妨害もないから、古い記憶までさかのぼってしまった夜でした。

あ、部屋から2階へ上がると小聖堂があり、24時間夜中でも、何時でも祈れます。マイ聖堂のようでとっても良かったです。