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2013年4月9日火曜日

ダンゴウオ

水中写真家の鍵井靖章さんのスライド&トークショーに行って来ました。



震災のあとの海に潜った”ダンゴウオ”という小さな生物の名前をタイトルにした写真集を先月本屋さんで発見。他のダンゴウオの写真集は立ち読みで終わっちゃったけど、この本はビニールの袋がかけてあって中が見えなくなっていたのと(笑)、岩手県宮古市の海と書いてあったので思わず買っちゃいました。ここは祖母の家があるところなのです。(正確には田老ですが)

で、そうこうしているうちにいつも潜らせてもらっているダイビングショップさんからスライドトークショーのお知らせがあり、エーッ?!エーッ!??サインもらいにいこ~~っと、写真集片手に行ってきました。  


ちなみにワタスの撮ったダンゴウオはこちら


2ミリ位です(多分・・・) 
チビっちゃくてユラユラ揺れる海藻の上にいるのでピントが合わないんですよね・・・これが私とコンデジの限界です。

あ、写真集のダンゴちゃんはもっとステキですよ!!




さて、スライドショーですが、楽しく鍵井カメラマンもとっても素敵な方でした。写真集には前々から潜りたかった浄土ヶ浜の様子も載っています。自分で調べたら、何故か潜らせてくれそうなダイビングショップがなく、いつも利用しているダイビングショップの店長さんにも「いやー。あるやろ!?」と言われていたのですが、お話によるとそのあたりはダイバー=密漁のイメージらしく基本、潜れないそうです。。。


そして、この写真集は、文章も鍵井さんご自身が書かれたそうです。

いずれは撤去しなければならない、海に沈んでグチャグチャ、サビサビの車が漁礁のようになっている写真。勝手に引用しちゃいますが、この写真に添えられている
”人間の身勝手が、いつも生き物たちを翻弄しているのです。”
という一文がすごくいいな、と思いました。そこが1番好きで、何回も何回も読んじゃいます。



あ、写真集なのに文章の方を先に書いちゃいましたね。


写真だと、笑ってるダンゴやお花畑のようなカラフルな写真も良いのですが、最後の方のまたまた沈んだ車の、車体と、そのタイヤから緑の海藻がワ~~~っと生えている写真。車本体のドアの辺り、金属部分は朽ちてそのままなのですが、柔らかいタイヤからは若芽がワッサ~と出てきています。人間の作ったモノと、神の作ったもの。その違いを感じました・・・って、珍しくクリスチャンっぽいことを書いてみました。
分かりにくいかも知れませんが、写真を載せるわけにもいかないので写真集を見た方とだけでも分かち合えたらな、と思います。


さて、鍵井カメラマンは数日富山に滞在された模様。
ダイビングショップの店長さんのフェイスブック見てたら、前髪をおろしてらしたので、あらっ!?このカメラマンさんて、随分前だけどオムツをしてホオジロザメの撮影をして次は奥歯まで撮りたい、とそこでその番組おわってたクレイジーなカメラマンでないかい??とあやふやな記憶が蘇り、早速店長さんに
「もしかしてオムツして潜る方??」
と聞いてみると、
「鍵井さん、スマートだからノーオムツだよッ!」
だって。
スマートだから・・・って(笑)










 

2011年12月13日火曜日

福島遠征 3

希望の持てる話を聞いてすっかり元気に。
ここで遅い昼食タイム。

案内してくださった女性について行ってラーメン屋さんへ。


店内は4人がけ×テーブル3個。
6人で行くと毛糸の帽子を斜めに被った、ふくよかなふてぶてしい顔(笑)の約75歳のお母さんが
「大勢で来んなや!狭いの知っとるだろーが!」
と、早速一言。

「ちょと待っとれ~」
ドカっと椅子に座り、
「注文!何?」


「何がおすすめ?」
「タンメン」 ←お母さん
「じゃあ、タンメンこっち3つと。。。そっちどうする?」
「そだな、タンメンは3つにしとけ、分けて食べろ」
「じゃあ、喜多方ラーメンを・・・」
「3つか?タンメンと3×3がいいだろ、そうしとけ。」


と、ここでチャレンジャーのボランティアさん。
「あ、お母さん、私、このうどん」

やる~っ 笑


「めんどくさい事言うな!お前のは最後!」
「いいよ、待ってるから」


メニュー、最後の方おしゃれになってません!?



しばらくすると、グラスとペットボトルに入った冷えた水を持って再びお母さん登場。4人がけに座ってるとボトルは3つ持ってくる。

「寒いから3つでいいだろ?」
「1つでいいよ。貴重な水なんだから閉まっといて。」(水道水は安全との発表だけど、念のためみんな買って飲んでるらしい。)
「いいから、置いとけ!親父(旦那)にケチケチすんなってオレがおごられるんだから!」


そうこうしてるうちにラーメンとタンメンの出来上がり。
で、で、で!!これがまた・・・めちゃくちゃウマイ。腹立つわ~~笑

そして、横でお母さんは座ったままなんだけど、厨房で作ってたお父さん登場。2人ともようしゃべられます。


「津波でわしの事好きだった女たちがみんな流されてしまったわ。たっくさんおったんになア。」
「お父さん、見栄張らんんでいいよ。」
「本当じゃ。」
「でも、お母さん残って良かったじゃん。」
「みーんな、波に巻かれてしもて・・・今頃海の中じゃ。わしと一緒になってたら死なんかったんにのう・・・」
「今頃魚につつかれとるわ!」 ←お母さん



ここに来る途中でどの家も柿が燃えるようになっていて、最初は食べる人が居ないからなりっぱなしなんだね、と話していたのですが、でも鳥が食べていかないね、と車内で不思議に思ってました。ここのお母さん予想によると、食べたカラスなんかは死んじゃったんじゃないかと。そういえば帰るまで鳥を1匹も見ませんでした。
不気味だ・・・
と、こんな会話のなか、お母さんはてんこ盛りの柿を出してくれました。オイオイオイ・・・

私はあんまり柿が得意じゃないから1切れしか食べなかったんだけど、シスターは無邪気に
「私、柿、ダだーいすき!!」
と思う存分食べちゃった。

結局、和歌山の柿だったんだけどね。

でも、和歌山って会話はシスターの耳に届いてはなかったらしく、帰りの車の中で気付き、いっぱい食べちゃったよ~~!と焦ってました。。。(ちゃんと背説明済み)


それにしても。。シスター、体調がかなり悪かったハズなのに、どうしても行きたい、と最初から最後まで笑顔でした。多少咳はしたいたものの、途中ヤバかったのに一緒に行った人も多分そこまで辛いとは気付いていなかったと思う。移動中も本を読んだり、メモを取ったり・・・私がウトウトして目覚めるとロザリオ唱えていたり。(私はやってるうちに寝た) いや~、お恥ずかしい。

短時間だったけど、たくさんの方のに会え、濃い時間を過ごせました。
今回企画して下さった方、運転手さん、いつも話かけてくださるSさん、声をかけてくださったシスターに感謝です。また行きたい。





2011年12月12日月曜日

福島遠征 2

続いて、仮設住宅の辺りにある喫茶店のようなスペースへ。


無料でコーヒーが頂けたり(支援物資)、マッサージチェアがあったり、PCもあります。誰でもおいで~って場所。お話を伺っている間にもおばあちゃまたちが3人やってきてマッサージチェアに横たわり、
「おネエチャン、電源入れてくれや。腰中心でな。」
と、スイッチONの指示が(笑)

常連さんとお見受けしましたが、操作の仕方は分からない模様。
指示に従いスイッチON!
「動きました?」
「あ”~、う”ごいでる”よ~」
と、横の普通の椅子に座ったおばあちゃまから
「次、オレな」
との指示が・・・。了解。。



この日はボランティアで時々住まいのある東京から土日に来られているカメラマンがおられました。 無料で撮ってA4サイズの写真にしてくださるそうです。
「正直、自分の仕事もあるし金銭的にも厳しいんだけど」
とおっしゃりつつも、写真の洗浄作業のボランティアをされた後も足を運んでおられるそう。



コーヒーを入れてくださったステキな笑顔の若い女性。
でも、目が何かあったな、と言う感じ。なんとなく分かる。
自身もお子さん2人と仮設住宅に住んでおられ、旦那さんを亡くされたそう。他の人を助けに行ってまかれたんだとか。辛気臭い顔して、大変でしたねとは絶対に言わないけど、声を出すと涙が出そうで何も言えませんでした。ごめんなさい。でも、Sさんのためにお祈りし続けます、必ず。



同じくここで働いている地元出身の若い男性。
ご自分の家は高い所にあるので被害はなかったものの、親戚の方が波に巻かれなくなったとのこと。5月に警察から接触があり、11月に千葉の銚子沖で見つかったそうです。
この時、私はこの話を聞くためにここに来させてもらったんだなあと感じました。連絡が無いので諦めモードだったけど、うちの叔父さん(母の弟)も出てくるかも。うちは9月にDNAを取りに来たから、春になったら連絡あるかな?!なんてね。
「まだダイバーは潜ってくれているようですよ。潜る人より行方不明の人が多いですし、範囲もとんでもなく広いですからね」
とのこと。福島行きは家族に内緒にしていたのですが、希望の持てる話が伺え、家に帰って母に報告すると嬉しそうにしてくれました。良かった!











福島遠征 1

先週、シスターから
「被災地に行くトラックに乗らない?」
と聞かれ、トラックと言う言葉に惹かれ
「行く~」
と即答。日曜に福島県南相馬市に行ってきました。




震災後から月2回、南相馬市に入ってボランティア活動をされている富山の方がおられて、その方と炊き出しの提案者の方がお知り合いで、そのつながりで声をかけていただきそのご夫妻、同じく炊き出しメンバーの方、インド人のシスター、私の5人で車で行ってきました。


今回物資を積んで行くのは、仮設住宅に入っている人にもですが、ボランティアで入っておられる方やもう支援や援助を打ち切られてしまった方々のため、との事。




野菜や日用品、富山は米所なので新米をたくさん持っていきました。正確には分からないのですが、米は5kgに分けたのを計算すると100kgは軽く超えているみたい。これはみんなで持ち寄った物。
車もレンタカーで、積んだ荷物の総重量は推定300kgだそうな。全て色んな人のカンパ!すごい!!
そして、車はthe トラックではなく、トラック仕様の車、でした。最初の話とちょっと違う(笑)





朝4時集合。
奥さまの方は炊き出しで何度もお会いしているのですが、運転してくださる旦那さまとは初対面。お噂通りステキな方でした:)



南相馬市まで、片道6時間。


山越えでは雪景色に。


相馬市は入れるけれど、南相馬市はギリギリ入れる区域だそう。DASH村もある浪江町が立ち入り禁止区域になっているのと、現地の案内図では入れるはずの道も通行止めになっていてかなり遠回り。
人影もなく、道を聞こうにもホントに誰もいませんでした。



通れるハズの道も入れない

道には、放射線量を測定されている方、民家や道路の除染作業の方がたくさん。地道な作業です。シスターは、防護服で作業をしている若い人たちにと心打たれたらしく、
「kawaisou... they  are...army?」
かわいそう、と連発してました。



現地に到着すると、今回南相馬に行く機会を作ってくださったボランティアの方とご対面。
ついてすぐに津波のあった海沿いに案内していただきました。





海岸は原発から20kmの場所にあり、放射能の量は富山の10倍、山の方に行くと100倍だそうです。とは言っても、1週間いても大丈夫、、との補足がありました。1週間どころか、住んでいる人がいるんだから全然大丈夫なんですけど。


海岸は民家よりも防砂林がガバっとさらわれたような感じ。
もちろん、たくさんの方が亡くなっているのですが、宮城、岩手の方が地震、津波による民家の被害が大きくてこちらはやはり原発の被害が大きいな、と思いました。被害に大きい、小さい、というには比べられないですけれど、今回の趣旨とは別に超個人的にはシスターには宮城、岩手の海岸線を見て欲しいなあ。。。と思いました。

 
これは笑い話なのですが、(もしかすると別のシスターの話かも知れないのです)津波で家が流されるのを見たインドの家族が電話で何で日本人はダンボールハウスに住んでいるのか、と尋ねたそう。水の勢いがあまりにもすごいからそう思ったらしいんです。で、答える方もよく分かっていないものだから、よくあることだから流されてもいいように簡単に建てられる家に住んでる、と答えていたそうな。
横で聞いてた日本人のシスターはのズッコケた姿が目に浮かぶ・・・


次は、テント暮らししながらボランティアで働いておられる方たちの”村”へ。

みんなここではホームレス

手紙も届きます


吹きさらしにテント。
凍えそう。みんなここに何ヶ月も居るんだね・・・ここに米以外の物資を預けました。量に驚かれました:)










2011年4月8日金曜日

発見

今日、面白い記事を発見しました。昨日のNHKにも出てたらしいのですが…
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110326_8

ステキなおばあちゃまです。
母の実家のあった岩手県旧田老町は薄々名物おじさん、おばさん的な人が多いと気付いてたけど。。。この方、まさに私の田老町民のイメージにピッタリです。

そういえば向かいの90過ぎのおばあちゃんも老人車を押して逃げたと言ってました。TVの取材で診療所の先生が居てくれるから安心、とも答えていました。
因みにこのおばあちゃんの自慢は二回テレビにでた事で、それは何かと言うと、盛岡で収録された氷川きよしが出る回のNHKのど自慢に出たことなんだとか。本放送と再放送で二回:D
ステージに居るんだけど車椅子だからちっちゃくて最初は見当たらなかった。。。
これからはテレビに3回出た、が自慢になるのかな。



もう一つの発見は、グーグルマップが被災後の上空写真になってること。更地の上に在りもしない建物の名前がむなしく出ていました。
日曜に見た時は普通に家や工場なんかがあったんだけど、さっき見てみるとのまれた後で、知らない人が見たら元から更地、みたいになってる。
瓦礫のところもあるけど、町中にあった祖母の家は瓦礫すらない。
はぁ、、、
あ、日曜にいとこが自分の振袖らしきものと仏壇にあった位牌を発見したそうです。道もあるけど太ってる人は通れないそうです笑 三つあった桐箪笥もそれらしきものがあったけど引き出しはなくて確信できなかったとの事。



ところで、津波の後からポツリ、ポツリとせっかく助かった命を崖から飛び降りて終わらせてしまう人も居るそうなのですが、50~70代位の方が仕事面や住居の事で一番思いつめてしまうのかもしれませんね。
昭和の大津波や、他の地域と比べたらそんなに影響なかったとはいえ(←空襲なんかで)第二次世界大戦も経験済みの後期高齢者の方がどうにかなるって感じなのかも。
実際、その方たちはどうにかなったから存在している訳で。。。なんて説得力があるんでしょう!
‘戦争よりひどいけど、終わりが見えてるから大丈夫‘なんだそうです。
なるほど。

          子供の頃に田老の漁師さんに作ってもらった浮き玉のミニチュア

2011年3月20日日曜日

tsunami

お久しぶりでございます。
やっと日記を書く時間ができました&書く気になりました。

実は、私の母の実家が岩手県の宮古市田老町という所にあり今回の地震と津波で叔父やいとこが被災しました。

母の兄曰く、家は流され町は壊滅状態、町民4500人のうち2000人が行方不明、瓦礫の下から足や手が見え、それらもまだ50体しか回収されていないとの事。町を囲む様に10Mの防潮堤が二枚あり、祖母宅は二枚が交わる一枚の部分なのですが、いずれにせよ、二枚とも超えて防潮林も越えて津波は来たそうです。20Mはあったのではないか、と。

私の祖母も昭和の大津波で家族を亡くし、8歳で一人ぼっちになりました。

町はどの家からもまっすぐ走れば高い所に逃げられるように道がついていて至る所に避難所の看板がでています。
地震が来たら何も持たずに逃げなさい、津波の後は夏でも寒いからもし出来れば長袖を持って逃げなさい、一回じゃなくて何回も何回も来るからすぐに戻ってはだめ、津波が来て町が出来たころにまた津波が来るからそろそろくるはず、お年寄りからいくら聞いていてもこれだけの被害がでてしまうんだなぁ、と。
知ってる町並みがのまれていく映像は様は泣けて泣けて見えませんでした。こんな事になっていたとは。

道路も塞がり、電話も通じず、何の情報もないまま、まぁ、あの防潮堤があるから津波も大したことないっしょ!とか、でも今日はみんな山で一泊かしら、とか善助屋のラーメンまた食べれるかしら、とか、あの辺のトイレってボットンだから浸水したら大変な事になってるよね‥‥とか、なんて呑気な事言ってたんだろう。。全部笑い話になる筈だったのに。

最近は叔父からの電話で割と長く話せるようになったものの、先週の日曜まではTVでも宮城から宮古までしか写らないし、田老までの道が寸断されたためか、はたまた合併したためか被害のまだ少ない宮古市で一くくりにされてしまって、救援物資やら医療チームがわずかしか来てないようです。
町の診療所の先生がお一人で診察したり死亡確認をされているとのこと。
そして、未だ母の弟も行方不明になっています。もし、これを読んでいらっしゃる方で何か情報をお持ちの方がいらしたらご連絡をお願いします。
****で仙平屋の次男です。

今週は仕事が終われば毎晩PCで叔父の名前を探していました。宮古や岩泉の方も見てみるものの、見つからず。
避難所の名簿を写真で写して下さる方が居り、それを検索しやすいように避難所別やあいうえお順にテキストにしてくださってるかたもいらっしゃいました。ありがたいことです。中には懐かしい屋号もちらほら。
オタッキーな叔父のことだから、電気が無くても携帯つながらなくても、誰よりも早く無事の連絡をくれるはずなんですけどね。。。今は、宮古にでも行ってて病院かどこかにでも連れてかれててそこで眠っててくれ、と祈るばかりです。
もう、今は待つしかないです。

私も母も火曜くらいまではワンワン泣いてましたが、水曜からはもう起きてしまった事で、警察に叔父の情報提供もし、今は何もできる事はないのだ、とやっと今の状況を受け入れられました。

月曜に2つ、どこに怒りをぶつけていいか分からない事があったので、1つだけ書きますね。スルーしていただいて結構なのですが、、、
母は田老の数少ない情報を見逃すまい、とTVの前から動かず、いつ電話が来てもいいように家電と携帯を近くにおいてそこから動きませんでした。
そんな中、近くに住む議員のK.T.の事務所から選挙の電話があったんですよ。同級生の父で後援会にも入ってるので普段なら電話があるのは構わないのですが。地震が起きて3日目ですよ!?楽天ショッピングのダイレクトメールでさえ今の時点でも1通も来ないのに!!!
うちには身内の連絡かと思ってビクビクしている家族がいるのに、、、本当にかわいそうでした。
怒りのあまり抗議してやろうかと思いましたが、家の電話しかのっておらず、そこに電話してもお手伝いさんが出られるのでやめておきました。

何か、もう発掘待ち、みたいになってますけどもちろん生きていて欲しいですよ!?
どこからともなく、お前らが勝手に死んだと思って携帯解除してたから連絡できなかったんだ!!って怒って現れるパターンなんてすっごく似合うんだけどな‥‥