2011年3月31日木曜日

おにぎりの日

先日、夢が僅かに叶いました。
今の時期、炊き出しって言うと被災地に行ってきたの!?ってなりそうだけど、某所に普段から道端に居られる路上生活者さんへの炊き出しでございます。

事の発端はたった一人で路上生活者の自立支援をしている方がおられて、その方から某教会のシスターに炊き出しの協力を頼まれ、数回はシスター方だけでされていたようなのです。

前々からあるシスターから大阪時代にはよく炊き出しをした、と言う話を伺っていて私もした~い、と思っていたので、口には出さずとも、よっぽど私もしたそうに見えていたのでしょうか、それとも暇そうに見えたのでしょうか。
先月、そのシスターが何故か信者でもない私に一番最初に声をかけてくださり、結局平日なので、行けなかったのですが、やっと自分の休みと重なり実現しました。
某マイミクさんからは、ねぇさん、そんなにしたいなら毎週その曜日に半日休みを取り続けたら?と言われ、ムリムリ!!と言いつつも思わず計算してしまいました。多分、有給+祝日等で9~10ヶ月は活動に参加できるハズ笑
有給なんて、絵に描いた餅。あっても取れないけどね。

それはともかく、最終的な目的は炊き出しではなくて、あくまでも自立です。仕事をするにしても準備のお金がない、その生活保護を受けるにも住所がなければ受けられません。
まぁ、中には好きでそこで生活して居る方もおられますが…知識も無いので自立支援は出来ないけれど、炊き出し位はたまには協力できるかな、と。
この時期なので温かい物が喜ばれるだろう、と保温の為に発泡スチロールにひたすら握ったオニギリを50個、豚汁風の味噌汁、温かい煮物、りんご、と何やら具沢山なメニューになりました。私もみんなに交じって飲んでみしたが、なかなかおいしかったです!

この活動はその方の呼びかけによって他の大学などもしている、との事。たった一人から始まって、一人がやろう、と言えばそこへ海苔やら梅干やら、米が集まり、それを握る手が来るってのは、すごい!と感動してしまいました。
まあ、奴らは自業自得だからそんな事する必要ないとか、また来週も行くのか、とかそんな事するなら孤児の支援をしろ、とか言う声もありますが(~_~;)目の前にお腹がすいて死にそうです、と言う人が居ればおにぎりを差し出すのは少なくとも間違ってないかな、と。(死にそうです、とは言われてませんが)
いつかは問題行動になると思ので、ささっと行ってささっと帰ってきました。何か言われるかと思ったのですが、みんなとても穏やかで優しかったです。
その日は寒かったので、豚汁もどきもおかわりしてもらえ、もって行った鍋もスッカラカンになりました。中には若者も意外に居ました。
二年前にそこにいる女の人と個人的に話した事があったのですが、その方はおられませんでした。そこから抜けだして居るのであればいいな~。また、別にお会いしたい方もいたのですが、味噌汁よそうのに忙しくて分からなかった(泣)
豚汁があった為か、温かいお茶だけは不人気でしたが。お茶はペットボトルに入れてくれ、と言ってこれだけでも大分違うからね~と、カイロ代わりにされてました。なるほど~笑

話はもどりますが、自立支援!
今まで30人がアパート借りて家に住んでいるそうです。これは、たった30人ではないですよ!?ずっと路上生活のはずの人が30人も!ですよ。
私は教会というバックグラウンドがあるから行くのは簡単だけど、最初に一人で始められた方は大変だったと思います。
まず、こちらから話かけても、何であんたと話さなきゃならないんだ、と言われるのがオチだと思いますし。
はぁ、また近いうちに参加できるといいな。

2011年3月20日日曜日

tsunami

お久しぶりでございます。
やっと日記を書く時間ができました&書く気になりました。

実は、私の母の実家が岩手県の宮古市田老町という所にあり今回の地震と津波で叔父やいとこが被災しました。

母の兄曰く、家は流され町は壊滅状態、町民4500人のうち2000人が行方不明、瓦礫の下から足や手が見え、それらもまだ50体しか回収されていないとの事。町を囲む様に10Mの防潮堤が二枚あり、祖母宅は二枚が交わる一枚の部分なのですが、いずれにせよ、二枚とも超えて防潮林も越えて津波は来たそうです。20Mはあったのではないか、と。

私の祖母も昭和の大津波で家族を亡くし、8歳で一人ぼっちになりました。

町はどの家からもまっすぐ走れば高い所に逃げられるように道がついていて至る所に避難所の看板がでています。
地震が来たら何も持たずに逃げなさい、津波の後は夏でも寒いからもし出来れば長袖を持って逃げなさい、一回じゃなくて何回も何回も来るからすぐに戻ってはだめ、津波が来て町が出来たころにまた津波が来るからそろそろくるはず、お年寄りからいくら聞いていてもこれだけの被害がでてしまうんだなぁ、と。
知ってる町並みがのまれていく映像は様は泣けて泣けて見えませんでした。こんな事になっていたとは。

道路も塞がり、電話も通じず、何の情報もないまま、まぁ、あの防潮堤があるから津波も大したことないっしょ!とか、でも今日はみんな山で一泊かしら、とか善助屋のラーメンまた食べれるかしら、とか、あの辺のトイレってボットンだから浸水したら大変な事になってるよね‥‥とか、なんて呑気な事言ってたんだろう。。全部笑い話になる筈だったのに。

最近は叔父からの電話で割と長く話せるようになったものの、先週の日曜まではTVでも宮城から宮古までしか写らないし、田老までの道が寸断されたためか、はたまた合併したためか被害のまだ少ない宮古市で一くくりにされてしまって、救援物資やら医療チームがわずかしか来てないようです。
町の診療所の先生がお一人で診察したり死亡確認をされているとのこと。
そして、未だ母の弟も行方不明になっています。もし、これを読んでいらっしゃる方で何か情報をお持ちの方がいらしたらご連絡をお願いします。
****で仙平屋の次男です。

今週は仕事が終われば毎晩PCで叔父の名前を探していました。宮古や岩泉の方も見てみるものの、見つからず。
避難所の名簿を写真で写して下さる方が居り、それを検索しやすいように避難所別やあいうえお順にテキストにしてくださってるかたもいらっしゃいました。ありがたいことです。中には懐かしい屋号もちらほら。
オタッキーな叔父のことだから、電気が無くても携帯つながらなくても、誰よりも早く無事の連絡をくれるはずなんですけどね。。。今は、宮古にでも行ってて病院かどこかにでも連れてかれててそこで眠っててくれ、と祈るばかりです。
もう、今は待つしかないです。

私も母も火曜くらいまではワンワン泣いてましたが、水曜からはもう起きてしまった事で、警察に叔父の情報提供もし、今は何もできる事はないのだ、とやっと今の状況を受け入れられました。

月曜に2つ、どこに怒りをぶつけていいか分からない事があったので、1つだけ書きますね。スルーしていただいて結構なのですが、、、
母は田老の数少ない情報を見逃すまい、とTVの前から動かず、いつ電話が来てもいいように家電と携帯を近くにおいてそこから動きませんでした。
そんな中、近くに住む議員のK.T.の事務所から選挙の電話があったんですよ。同級生の父で後援会にも入ってるので普段なら電話があるのは構わないのですが。地震が起きて3日目ですよ!?楽天ショッピングのダイレクトメールでさえ今の時点でも1通も来ないのに!!!
うちには身内の連絡かと思ってビクビクしている家族がいるのに、、、本当にかわいそうでした。
怒りのあまり抗議してやろうかと思いましたが、家の電話しかのっておらず、そこに電話してもお手伝いさんが出られるのでやめておきました。

何か、もう発掘待ち、みたいになってますけどもちろん生きていて欲しいですよ!?
どこからともなく、お前らが勝手に死んだと思って携帯解除してたから連絡できなかったんだ!!って怒って現れるパターンなんてすっごく似合うんだけどな‥‥

2011年3月9日水曜日

また、雪。

また雪が降りましたね。

もうそろそろ春が来て欲しいものです。
久しぶりにTSUTAYAに行ってきました。多分2年ぶり位。
ホントに久しぶりすぎる。

借りたい映画があったのですが、結局見つからず。
日本のドラマコーナーはあるのに、何故か邦画コーナーに辿り着けませんでした。
自分でもなぜ探せなかったのか分らない~。
大人失格です。

韓流コーナーが2年目の記憶の2.5倍位になってました。アジアコーナーをグルグルしてたら遭難しそうになってきて、ヤバイと思って適当にCD借りて帰宅。
母が、嵐のCD借りてきて~と言ってたのを思い出してそれも借りる。
なぜか少し恥ずかしい。

ところで、何でレンタルCD屋って、あんなに眼精疲労を催すのでしょう。。
お勧めのCDの横に暑苦しい手書き文字でめっちゃオススメ!ってな感じで店員の感想が書いてあって、チカチカします。
で、興味を持って見ると、解説や評価は書いてあるけど、見本もデコられすぎてたりして、結局誰のCDかも分からなかったりする・・・私だけ?

でも。
TSUTAYAのゴチャゴチャはついてけないけど、雑貨屋のゴチャゴチャは大好きなんですよねぇ・・・
 
先日もいいものみつけました。

デザイナーズチェアのミニチュアです。
ジョージ・ネルソンの椅子とか、とてもとても買えないけど、これなら買える[m:41]
1コ500円也。