2012年5月5日土曜日

regret

連休後半の前夜、以前通っていた習い事教室の知人から同じくその教室に通っていた方同士が結婚されたので、新居にお祝いに行かない?とのお誘いがあった。



旦那さまからのネットでの書き込みに00さんと結婚したと書かれてあった時は知ってるよねって書き方で正直、??だった。けど、しばらく考えた挙句にようやく顔を思い出した、と同時にものすごい怒りが(笑)


と、言うのは、彼女とは親しくないけどザックリ言うと、あることで嘘つかれたと言うか、事実を故意に隠されたことがあってそれによって一時期かなり精神的に打ちのめされたんですよね・・・  そんなこと あったけ?ととぼけれられそうだけど、(もちろんそんなことは彼や友人は知らない)その些細な事でも私にとっては大きい痛手になったのよ・・・



彼が好きな類の人なだけにその人によってこれからも度々これがぶり返すのかと思うと憂鬱。これで丸々3日間沈んだ気分を引きずってしまったけど、昨日は友人と出かけたり今日は今日で美容院に行ったり誰かと会ってると気分もやや上昇。。


何かあるとすぐ凹んでしまう・・・ 何でこんなにも沈むのか3日間で分析してみた結果、嘘に気付いた当初こそ憎かったけど、3日前はもう憎しみ尽きてるのでただただ不快→何で不快なの?→自分は彼女(達)のようにはなれないから→劣等感?→そうかも。でも出来ないし、してはいけない→じゃあ、この先断れなくなったら?平生を装う?→絶対、無理。




この人とこの人は好きだけどこの人は見たくない、の状況だと先の二人を所有しようとするから自分が苦しくなるんでしょうね。前者にしがみついている手を離せば楽になる。もちろん、後者を許すことができればその時は前者も後者も手に入る。これがベストなのも分かる。



好きなイタリア語の単語に、Perdonare(ぺルナドーレ)ってのがあって、この単語自体は許すという意味で使われるんだけど、元々は諦めるという言葉らしい。使う時は許すという意味で、本来の諦めるという意味は含まない。日本語で言うところのおしまい、みたいな感じかな?終わりって意味しかないけど、外国人の人には何をしまうの?とイチイチ引っかかりそう。
ふと、そんな単語を思い浮かべたりして、、、その彼女への固執から手を離して彼女を諦めればラクになあるんだろうなあ・・・この先会わなければ諦められるんだろうなあ・・・でも目に入ると固執が始まるんだろうなあ・・・あぁ、もうヤダ、死にたい。


何を考えても時間のムダ。
答えはやっぱりみんなから手を引く。付き合いがあっても心は込めない。友人からは、また人間関係サラサラしすぎ、とお叱りを受けそうだけど、、、すんません、我儘なんです、結局。


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