2012年11月14日水曜日

1人旅行 1

ネットでふと目に留まった泊まれる修道院の書き込みから始まって、私も1人で行ってみました。

お世話になったのは兵庫県宝塚市にある御受難会の黙想の家。日々の家事から開放されてしばし静かに過ごせます。お食事も用意して頂け、個室で自由に過ごせます。仕事といえば、食事の後の皿洗いと、洗濯だけ。洗剤やシャンプー、タオルもあるので必要なものって寝巻きくらいではないでしょうか笑  信者さん以外も宿泊できます。




こちらで3泊させていただきました。
イエズス様がお迎えしてくれます。



ちょうど紅葉していてお庭がきれいでした。お庭の拝庭だけもどなたでもできます。下旬には紅葉狩りもされるようです。


日曜から泊まったので、早いごミサに与り、日曜学校を終え、子供たちと一緒に通常のごミサに与れないのは少々心が痛むけどすぐ出発。この距離を1人で運転はノープロブレムだけど、1人でここまで遠くへってのは初です。ワクワクするっ。

こちらへは11時に出発して途中食事をとりながら4時頃に到着。
この日は団体さんが食堂でパーティーをするとの事で夕食は持参して部屋でとりました。予約時に電話対応をしてくださったTさんが浴室や館内の設備を案内してくださり、その後は1人時間スタート。次の日からお客さんは私1人になるそうです。おお~っ!




1日目は雨だったので小聖堂でお祈りして、部屋で日曜学校の準備や読み物をして終了。図書室の本も借りられます。自分でも本は持っていったけど、とりあえず1冊お借りしてパラパラ~っと目を通してみる。



旧約の時代の内容でちゃんとは覚えてないけどダビデの子供が死んだときの場面が書いてあり、子供が死ぬか死なないかというときはひどく心を痛めていたのに、死んだとなれば平然としている所で、その解説として臨終のときはもしかすると奇跡でも起こって生きられるかも知れないと期待してその事ばかりに振り回されるけれど、実際に死が訪れてしまえば神様の所に行ってしまったのだからもう戻ってくることはないし、そうなれば生きている人間があれこれ気にしてもどうにもならないことだ、それを理解しているからその態度は冷たい訳ではないと書いてあった。


間違いなく私は親しい人が亡くなってしまったら収集がとれないくらい号泣してしまう。
泣かない人もいるけど、そんなの無理。
泣く、泣かないの問題じゃないけれど、、、周りから見たら悲しいから泣いていると思われるんだろうけど、それよりお疲れ様、終えられたね、良かったねって泣いてしまう・・・
変ですか笑
良かったねって思っても、泣かない人になりたい。号泣なんてしたら、無知な人みたい。いや、永遠なんて、信じていないのかな。。。



聖書読んでると普段泣かないのに泣いてばかり。



こんな人いるんだろうか、と思ってたら、求道者だった頃に後に代母さんとなっていただいた方とシスターと3人で聖書を読んでいるときにシスターからここ読んでみて、と言われた代母さんが黙示録の新しい天と地の箇所を音読していると急に言葉に詰まられ、
「福音書ばかりで黙示録なんてほとんど読まないけど、すっごくいいね」
と、その後は泣きながら読まれたんです、私もその箇所は大好きで平静ではいられなくなる箇所なんだけど、どうして泣くのか自分でも分からない。
そんなに日常生活が辛いのか!?
何の妨害もないから、古い記憶までさかのぼってしまった夜でした。

あ、部屋から2階へ上がると小聖堂があり、24時間夜中でも、何時でも祈れます。マイ聖堂のようでとっても良かったです。







 

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