2012年11月15日木曜日

1人旅行 4

NEXT DAY

今日こそ御ミサ!
7時に間に合うように早めに聖堂へ。
到着すると、シスター達のお祈りが既に始まっていました。


お声がとってもきれい。


後から所属教会のシスターに伺ったところ、御受難会は半観想とのこと。確かにシスター達のところは完全に見えないわけではないけど戸で目隠しのようになっていました。平日というのもあるかもしれませんんが、参加者は5名くらい。






御ミサ後は、食事、洗濯、読書、そして山(笑)。




十字架の道行きの順で、イエズスさまに心をあわせて歩いていく。



どうしてこんなにたくさん人が居るのに私が洗礼を受けたんだろう。

どうして。

何もできないのに。

こんな自己中の私が。何が私にできるの?

いつも好き勝手にして、あなたに感謝もしない。

あなたの言葉も本気にしているか怪しいのよ?



ベンチでボケッとしていると、以前にシスターにあなたは自分を罪人(つみびと)だと思いますか?と聞かれたことを思い出しました。カトリック教会では、主の祈りというお祈りの中で

”天におられる私たちの父よ
 (中略)
 私たちの罪をお許しください
 私たちも人を許します”

という箇所があるのですが、いつもさらっと言ってて自分が罪人だという自覚がないんだけど、自分に何も無いくせに与えられてるものに感謝もしない、造られたことに感謝もしない、生かされてることに気づきもしない、それが罪なんだとひらめきました。


ふと目を上げるときれいに紅葉していて、揺れる枝や空気、たくさんの実りの中にすっぽりと包まれているのが見えて、イエズス様の腕の中に居るようなすごく満たされた感覚になりました。こんなにも与えよう、与えようとしてくださる方なんですね。


さっきまで何で私が、と思っていたけど、こんな私でも、こんな私だからこそ、愛してくださるってるんですよね・・・ 




”私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい”

・・・私はいつも怒っている。



読もうと思っていた聖書は滞在中読まなかったのに、時折ポツン、ポツンと御言葉が降ってくる。

不思議だ。






”義に飢え乾く人は幸いである
 その人は満たされるであろう”


何度教えてくださっても満たされていることを忘れる罪人にどうか気づかせてください。何度も、何度も。







”押入れ、揺すりいれ、あふれるほどに量りをよくしてふところに入れてもらえる”


満たされすぎてベンチで泣いてしまいました。
でも、マイ山状態だから大丈夫!!




そっか、そっか・・・と思いながら下山。


”見よ、それはきわめて良かった”



すぐに黙想の家の小聖堂に上がり、私は罪人です、愛してくれてありがとう!と言いました。





 

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