2012年3月10日土曜日

Pieces of Him

人のことを書いておきながら、何も書く気分になれず私もしばらくここをサボっておりました。



去年は、数えてみたら色んな事で6人もの人を失った。未だかつてない経験で、ここしばらく自分自身がここにいても居ないような、自分が自分でないような感じ。次から次へと亡くす(or無くす)ので、きっとそういう時だったのでしょう。


最近、受洗前からカテキズム(カトリックについての勉強のようなもの)の私を担当して下さっているシスターが、よく去年の年末に帰天された神父様のお話をなさる。その際に他の方から頂いた神父さまの書かれたものを見せて下さったり、他の信者さんから聞いた神父さまのお話をして下さる。色んな方から聞いた話をされているのをみるとあちらこちらにある、姿が見えなくなった神父さまの欠片を拾っているよう。



どうして人は生きている人よりも、亡くなった人の事をより知ろうとするのだろう。



普段、特に感情を表さないそのシスターはきっとお葬式の時も泣かなかったと思う。よく、クリスチャンにとって人の死は帰天と言われる様に神の元に帰るのだ、復活があるから、眠っているだけなのだから、だから悲しむことはないのだ、と言われるが当たり前のことだけれど、やはり身近な人が亡くなるというのはそのシスターにとっても悲しいのだ、と思った。当たり前すぎですが。


そして、意識していなかったけど私もその神父様のカケラ集めをしているのに気付く(笑)


物こそ集めないけれど、枕元に何枚かのお気に入りの写真やクリスマスカードがあり、その中の1枚が神父様と写っているものなのですが、それを眺めながらあの時こう言われたけど本当にそうなったな、とか、こんなこと言ってらしたな、とか・・・お言葉集め。
その頂いたお写真もおだやかな雰囲気で、見ているとふふふ~ってなるような写真。


その神父様は特別の中でも特別な方。
本当に、人を愛する方だったからこそ誰にとっても特別だったんだと思う。

一度しか会われたことがない方も、その神父様のことを話している時に、もしかして今お話されているのって、00神父様の事ですか?と言われたそう。その方は、お会いしたことがあるのは1度だけなのですが、その時にしっかりと抱きしめてくださいました、とお話しておられたのだとか。

こんな風に話をして分かち合える人が近くに居るって、幸せ。








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