先週、シスターから
「被災地に行くトラックに乗らない?」
と聞かれ、トラックと言う言葉に惹かれ
「行く~」
と即答。日曜に福島県南相馬市に行ってきました。
震災後から月2回、南相馬市に入ってボランティア活動をされている富山の方がおられて、その方と炊き出しの提案者の方がお知り合いで、そのつながりで声をかけていただきそのご夫妻、同じく炊き出しメンバーの方、インド人のシスター、私の5人で車で行ってきました。
今回物資を積んで行くのは、仮設住宅に入っている人にもですが、ボランティアで入っておられる方やもう支援や援助を打ち切られてしまった方々のため、との事。
野菜や日用品、富山は米所なので新米をたくさん持っていきました。正確には分からないのですが、米は5kgに分けたのを計算すると100kgは軽く超えているみたい。これはみんなで持ち寄った物。
車もレンタカーで、積んだ荷物の総重量は推定300kgだそうな。全て色んな人のカンパ!すごい!!
そして、車はthe トラックではなく、トラック仕様の車、でした。最初の話とちょっと違う(笑)
朝4時集合。
奥さまの方は炊き出しで何度もお会いしているのですが、運転してくださる旦那さまとは初対面。お噂通りステキな方でした:)
南相馬市まで、片道6時間。
相馬市は入れるけれど、南相馬市はギリギリ入れる区域だそう。DASH村もある浪江町が立ち入り禁止区域になっているのと、現地の案内図では入れるはずの道も通行止めになっていてかなり遠回り。
人影もなく、道を聞こうにもホントに誰もいませんでした。
道には、放射線量を測定されている方、民家や道路の除染作業の方がたくさん。地道な作業です。シスターは、防護服で作業をしている若い人たちにと心打たれたらしく、
「kawaisou... they are...army?」
かわいそう、と連発してました。
現地に到着すると、今回南相馬に行く機会を作ってくださったボランティアの方とご対面。
ついてすぐに津波のあった海沿いに案内していただきました。
海岸は原発から20kmの場所にあり、放射能の量は富山の10倍、山の方に行くと100倍だそうです。とは言っても、1週間いても大丈夫、、との補足がありました。1週間どころか、住んでいる人がいるんだから全然大丈夫なんですけど。
海岸は民家よりも防砂林がガバっとさらわれたような感じ。
もちろん、たくさんの方が亡くなっているのですが、宮城、岩手の方が地震、津波による民家の被害が大きくてこちらはやはり原発の被害が大きいな、と思いました。被害に大きい、小さい、というには比べられないですけれど、今回の趣旨とは別に超個人的にはシスターには宮城、岩手の海岸線を見て欲しいなあ。。。と思いました。
これは笑い話なのですが、(もしかすると別のシスターの話かも知れないのです)津波で家が流されるのを見たインドの家族が電話で何で日本人はダンボールハウスに住んでいるのか、と尋ねたそう。水の勢いがあまりにもすごいからそう思ったらしいんです。で、答える方もよく分かっていないものだから、よくあることだから流されてもいいように簡単に建てられる家に住んでる、と答えていたそうな。
横で聞いてた日本人のシスターはのズッコケた姿が目に浮かぶ・・・
次は、テント暮らししながらボランティアで働いておられる方たちの”村”へ。
吹きさらしにテント。
凍えそう。みんなここに何ヶ月も居るんだね・・・ここに米以外の物資を預けました。量に驚かれました:)
「被災地に行くトラックに乗らない?」
と聞かれ、トラックと言う言葉に惹かれ
「行く~」
と即答。日曜に福島県南相馬市に行ってきました。
震災後から月2回、南相馬市に入ってボランティア活動をされている富山の方がおられて、その方と炊き出しの提案者の方がお知り合いで、そのつながりで声をかけていただきそのご夫妻、同じく炊き出しメンバーの方、インド人のシスター、私の5人で車で行ってきました。
今回物資を積んで行くのは、仮設住宅に入っている人にもですが、ボランティアで入っておられる方やもう支援や援助を打ち切られてしまった方々のため、との事。
野菜や日用品、富山は米所なので新米をたくさん持っていきました。正確には分からないのですが、米は5kgに分けたのを計算すると100kgは軽く超えているみたい。これはみんなで持ち寄った物。
車もレンタカーで、積んだ荷物の総重量は推定300kgだそうな。全て色んな人のカンパ!すごい!!
そして、車はthe トラックではなく、トラック仕様の車、でした。最初の話とちょっと違う(笑)
朝4時集合。
奥さまの方は炊き出しで何度もお会いしているのですが、運転してくださる旦那さまとは初対面。お噂通りステキな方でした:)
南相馬市まで、片道6時間。
山越えでは雪景色に。 |
相馬市は入れるけれど、南相馬市はギリギリ入れる区域だそう。DASH村もある浪江町が立ち入り禁止区域になっているのと、現地の案内図では入れるはずの道も通行止めになっていてかなり遠回り。
人影もなく、道を聞こうにもホントに誰もいませんでした。
通れるハズの道も入れない |
道には、放射線量を測定されている方、民家や道路の除染作業の方がたくさん。地道な作業です。シスターは、防護服で作業をしている若い人たちにと心打たれたらしく、
「kawaisou... they are...army?」
かわいそう、と連発してました。
現地に到着すると、今回南相馬に行く機会を作ってくださったボランティアの方とご対面。
ついてすぐに津波のあった海沿いに案内していただきました。
海岸は原発から20kmの場所にあり、放射能の量は富山の10倍、山の方に行くと100倍だそうです。とは言っても、1週間いても大丈夫、、との補足がありました。1週間どころか、住んでいる人がいるんだから全然大丈夫なんですけど。
海岸は民家よりも防砂林がガバっとさらわれたような感じ。
もちろん、たくさんの方が亡くなっているのですが、宮城、岩手の方が地震、津波による民家の被害が大きくてこちらはやはり原発の被害が大きいな、と思いました。被害に大きい、小さい、というには比べられないですけれど、今回の趣旨とは別に超個人的にはシスターには宮城、岩手の海岸線を見て欲しいなあ。。。と思いました。
これは笑い話なのですが、(もしかすると別のシスターの話かも知れないのです)津波で家が流されるのを見たインドの家族が電話で何で日本人はダンボールハウスに住んでいるのか、と尋ねたそう。水の勢いがあまりにもすごいからそう思ったらしいんです。で、答える方もよく分かっていないものだから、よくあることだから流されてもいいように簡単に建てられる家に住んでる、と答えていたそうな。
横で聞いてた日本人のシスターはのズッコケた姿が目に浮かぶ・・・
次は、テント暮らししながらボランティアで働いておられる方たちの”村”へ。
みんなここではホームレス |
手紙も届きます |
吹きさらしにテント。
凍えそう。みんなここに何ヶ月も居るんだね・・・ここに米以外の物資を預けました。量に驚かれました:)
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